No.72 2024年8月4日
「原宿教会創立120周年を迎えるにあたって」
牧師 木村拓己
「人間にできることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ。」
(マルコによる福音書10章27節)
原宿教会は創立120周年を迎えました。長い歴史を振り返れば、戦時下や空襲の中を歩んだ時期もあります。激動の時代を超えて、今日に至るまで原宿教会が歩んでこられたのは、そこに教会に連なる多くの方々の働きがあったからでしょう。何より、神がその道を整え、導いてくださったからに他なりません。与えられている多くの神の恵みを数え、感謝をささげ、何よりこの時をご一緒に喜びましょう。
さて、原宿教会の会堂の歴史を少し振り返ってみたいと思います。原宿教会「100年の歩み」に掲載された写真も、今回再掲します。以下、時代の変遷を理解いただくために補助的に和暦を記しますが、ご容赦ください。
初代の会堂は、1904(明治37)年7月2日に子どもの日曜学校として始まり、1905(明治38)年7月2日に「日本基督同胞教会原宿教会」として歩み始めた会堂です。それは千駄ヶ谷町原宿180番地、現在と異なる場所でした。残念ながら、現状は初代の会堂写真を確認できておりません。
第二代目の会堂は、1911(明治44)年11月、コーサンド宣教師とアメリカ同胞教会本部の援助によって原宿70番地に建てられました。現在の隣接地となります。1923(大正12)年の関東大震災でも目立った被災はなく、近隣避難所として提供された記録が残っています。しかし、1945(昭和20)年5月25日の東京大空襲により、会堂は全て焼失してしまいました。
第三代目の会堂は、1948(昭和23)年10月31日に献堂式が行われました。アメリカのノーブ夫妻の記念献金により建てられたその会堂は、「水色」という色の表現が正しいかわかりませんが、そのきれいな色が特徴的だったでしょうか。のちに増築も行われた会堂は、2005年に至るまで、実に半世紀を超えて用いられました。
現在の会堂は、第四代目となります。2005(平成17)年11月13日に献堂式が行われ、来年20年を迎えます。外観正面から会堂内、テラスに至るまで曲線美が特徴的な構造は、教会関係者のみならず、建築に関心のある方、旅行中の外国人の方が日常的に訪ねてくださいます。またコンサート等の会場としても用いられています。
歴代の会堂は、数多の信仰者によって用いられ、また守られてきました。その背後でいつも支えてこられた神の見えざる御手を思います。「私たちだけではできない」と思われたことも、神の不思議な導きによって、一つ一つを乗り越えてきました。この地に今日まで原宿教会が在り続けていることを感謝いたします。
創立120周年を迎えた私たちは、どのように神さまと共に歩んでいきましょうか。私たちにできることは神さまに委ねられていることを確かめること、それらを分かち合って生きることでしょうか。何よりも、神さまによって地域になくてはならない教会と幼稚園の歩みとしてつくり上げられるように、そのために私たちが用いられるように、と祈りを合わせたいと思います。