No.37 2010年9月26日
信仰、希望、愛
牧師 石田 透
愛は忍耐強い。愛は情け深い。
ねたまない。
愛は自慢せず、高ぶらない。
礼を失せず、自分の利益を求めず、
いらだたず、恨みを抱かない。
不義を喜ばず、真実を喜ぶ。
すべてを忍び、すべてを信じ、
すべてを望み、すべてに耐える。
愛は決して滅びない。
信仰と、希望と、愛、この三つは、
いつまでも残る。
その中で最も大いなるものは、
愛である。
(コリントI ・13章より)
これは有名な第一コリント13章の言葉です。使徒パウロが「そこで、わたしはあなたがたに最高の道を教えます。」と言って語った珠玉の言葉です。キリスト教会以外でも、広く「愛の賛歌」として知られている有名な聖句です。秋の結婚式シーズン、教会の結婚式以外の披露宴などで、誰かがお祝いのスピーチでこの言葉を引用するかもしれません。人びとの心を揺さぶる普遍的な力をこの聖句は持っています。
しかし、言うまでもないことですが、この言葉は初代教会の具体的な状況を念頭に書かれた、使徒パウロの極めて牧会的な配慮に満ちた言葉なのです。二千年前、コリントの教会の人びとは何ともやるせない思いで教会生活を送っていました。みんな教会の将来のことを考え、それぞれ一生懸命に生きていました。でも「教会形成」はなかなかうまくいきません。しっくりこないのです。「神の家族」である信徒間の関係がどんどんすさんでいきます。まさに愛が薄れていく。人の思いだけが複雑に交錯する中、人びとは出口を見いだせずにあえいでいたのです。
そんな状況の中、コリントの教会の人びとに対して、パウロはこの「愛の賛歌」を書き送ります。人びとはこの「愛の賛歌」を読み進むうちに、愛の体現者であるイエスさまを思い浮かべていきます。そして心の中でこう唱えるのです。
「イエスさまは忍耐強い。イエスさまは情け深い。イエスさまはねたまない。イエスさまは自慢せず、高ぶらない。イエスさまは礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。イエスさまは不義を喜ばず、真実を喜ぶ。イエスさまはすべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。イエスさまは決して滅びない。」
イエスさまはあざけられ、見下され、人々に捨てられてもなお、無条件の愛を貫いていかれました。その愛はイエスさまに敵対する人々に対しても向けられていきました。その大いなる無条件の愛によって、どれほど多くの人が自分自身を取り戻していったことでしょうか。その大いなる愛によって、どれほどの多くの人が信じること、希望を持つこと、愛することを、再度、感謝を持って生き始めていったことでしょうか。
どんな絶望的な状況であっても、決して滅びない愛そのものであるイエスさまが、今も愛をもって私たちを包み、養い、導いてくださるのです。私たちはそのようなイエスさまのみ手の中に生きているのです。