「幸いなる者たち」 石田 透
マタイによる福音書5:1-12
今年もまた平和聖日を迎えました。私たちが生きている今のこの世界は平和とは対極にあるような現実の中に置かれています。2022年のこの世界には困難な課題が山積しています。平和聖日に当たり、マタイによる福音書の「山上の説教」の冒頭のイエスさまの言葉を、皆さんと共にしっかりと心に留めておきたいと思います。
心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。
悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。
柔和な人々は、幸いである、その人たちは地を受け継ぐ。
義に飢え乾く人々は、幸いである、その人たちは満たされる。
憐み深い人々は、幸いである、その人たちは憐みを受ける。
心の清い人々は、幸いである、その人たちは神を見る。
平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。
義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。
わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせ
られるとき、あなたがたは幸いである。
喜びなさい。大いに喜びなさい。
天には大きな報いがある。
あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。
(マタイによる福音書5:3-12)
マタイによる福音書5~7章の「山上の説教」には大切な教えがまとめられています。ここに記されているのはイエスさまが人々に何としても伝えたいと思っていたことばかりです。この箇所を読むと、自分の弱さに向き合わされ、そして考えさせられ、反省させられます。また慰められ、励まされ、生きている喜びを与えられ、前を向いて生きていく勇気を与えられるのです。
平和聖日に当たり、特に「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる」。この言葉をしっかりと心に刻み付けておきたいと思います。イエスさまはまさに今この時を生きる私たちが、「平和を実現する」者として歩むことを望んでおられるのです。私たちはこの世界にあって、自分だけただ一人平和に生きていくことはできません。この世界のただ中で様々な存在と関わりをもって生きている私たちは、世界の現実を直視し、世界の課題と向き合い、困難であっても、様々な障壁を皆で共に克服していく歩みが求められています。平和に向けての歩みは、たとえそれが小さな歩みだとしても、神さまは喜んでくださいます。そしてイエスさまはそのような私たちの小さな歩みを支えてくださり、共に歩んでくださるのです。今世界全体が直面している新型コロナウイルス感染症の問題、この社会が抱えている様々な人権の問題、貧困が引き起こす様々な問題、また様々な多国間問題、特にロシアのウクライナ軍事侵攻が引き起こしている悲惨な現実、それらの事柄と誠実に向き合いつつ、「平和を実現する」者として歩んでいきたいと思います。