主日礼拝|今週のみことば



主日礼拝説教(2023.05.28)


「 めいめいが持つ言葉 」木村拓己


使徒言行録 2.1-13


 聖霊が降った出来事を覚えるペンテコステという礼拝。ここでは、言葉も考え方も違う人たちが、聖霊の働きによって一つの共同体とされていくことが語られています。
 旧約聖書の創世記にはバベルの塔という物語があります。群れることでまるで大きくなったかのような、強くなったかのような錯覚に陥ってしまった人々。自分に同調する人しか受け入れない状態を生きる人々の言葉を神はバラバラにしました。国が分かれ、文化が分かれ、言葉も民族も分かれていったことが記されています。
 「多様性」という言葉をしばしば耳にします。それは、互いの違いを認め合うことができてこそ、初めて意味を持つ言葉なのであって、認め合うことができないならば、結局はバラバラなのではないしょうか。違う考えを持つ人がいたとして、そこで知ろうとする努力がないならば、いつまでもバラバラなのです。
 私たちは、人の話を聞くことが得意ではありません。13節にはあざける人たちがいます。彼らは聞こうとしない人々であり、自分の意に反する方向に進んでいくことを受け入れられない人々だったのでしょうか。どこかに不安もあったでしょうか。しかし大事なことは、この聖霊という風は共同体の一人ひとりに吹き続けているということです。
 イエスさまの十字架と復活の出来事を見た弟子たちは、聖霊が注がれる出来事を通して、イエス・キリストを礼拝する人々、主と共に生きる人々になっていきました。これが教会の始まりでした。大切なことは、今日お読みした聖書がそうであったように、「ただ話を聞いている人」から、「そのことを話し出す人になった」ということだと思います。それは、ただ自分の好きなことを話すのではありません。わたしのこと、あなたのことも大切だと言ってくださる主を伝える人になるということです。
 自分の物差しで相手を測るのではなくて、めいめいが持つ言葉と経験とに聞き合おうとする関わり。どこまでも分かり合えない人はいるけれども、しかしその間に立っていてくださる方がおられること。人間的な思いを超えて、復活の主が私たちを結び合わせていることを理解するということ。
 小さな子どもから歳を重ねた大人まで、話し方も伝え方も考え方も違う私たちですが、それぞれに主を伝える一人ひとりとなっていきます。ペンテコステは、自分に終始せず、神と人とを大切にする言葉を語ってみようと心に決めた日だったのではないでしょうか。「教会を形作る」ってそういうことではないかと思うのです。