お知らせ

  • 礼拝及び集会に参加する時は、マスク着用でお願いいたします。日々体温を測り、体調がすぐれない場合は参加を控えてください。よろしくお願いいたします。教会受付にて手指用の消毒液がございます。
    (更新:2020年8月6日)
  • 平和聖日礼拝説教(2020.8.2)「和解のために奉仕する者」    ホセア6:1-6、Ⅱコリント5:14-6:2  石田

    8月第一主日は平和聖日です。そしてこの8月に私たちの国、私たちの教会は平和への真摯な祈りを共にいたします。それはこの国と私たちの教会がかつて悲惨な戦争を体験しているからです。私たちはその苦しみの体験の中から多くのことを学びました。またこれからも学び続けていかねばなりません。
     かつて私たちの国は何に駆り立てられ、戦争への道をひた走ったのでしょうか。そのことを私たち日本人は政治学的に、社会学的に、経済学的にと、様々な角度から検証しなければなりません。
     と同時に私たち教会に集う者は、何よりも聖書のみ言葉からこの悲惨な戦争がなぜ起こったのか問い直さなければなりません。かつて私たちは何を恐れ、また誰を見上げ、誰の声を聞いていたのかということです。これから後、私たちは誰を見上げ、誰の声を聞いていかなければならないのかということです。
     命をかけて伝道に生きた使徒パウロは、Ⅱコリント5:14で「なぜならキリストの愛がわたしたちを駆り立てているからです」と大胆に語りました。パウロは自分の生きる拠り所は主イエス・キリストである。それ以外の何者でもない。しかもそれは十字架の上で自らの全てを差し出して、人々の罪の救いのために死んだあのイエス・キリストである。その人こそが自分の生きる拠り所である。その主イエスの大いなる愛が私を駆り立てているのだと語るのです。
      では私たちはどうでしょうか。いったい私たちの人生は何によって駆り立てられているのでしょうか。何が私たちの生きるエネルギーとなっているのでしょうか。それはもしかしたらこの世での成功への野心かもしれません。また自分の中にある様々な欲望かもしれません。あるいは誰かを打ち負かそうとする闘争心かもしれません。それが個人的な場合は当事者間の様々な軋轢や諍いを生み出します。またそれが国と国との場合は他国との緊張を生み出し、時には紛争や戦争へと至るのです。
     そんな弱さや自己中心性を持っている私たちに、聖書は神のみ言葉に立ち返りなさいと告げるのです。コリントの人々に宛てた手紙の中で、パウロは本当に畏れなければならないのは神さまであると語ります。この世的な力をふるう者を恐れてしまいがちな私たちを神へと向き直させるのです。そしてその神が送ってくださったイエス・キリストの十字架と復活の真実へと私たちを導くのです。
     ではイエスさまの十字架と復活が私たちに語るメッセージは何でしょうか。それは古き自分に決別し、新しき人を生きるという信仰です。生き直しへの強い決断です。私たちはそのことを促されています。
     では人が新しくなるとはどういうことでしょうか。様々なしがらみを断ち切り、一から人生をやり直すということでしょうか。今風の言い方をすれば「人生のリセット」という風に言うことができるかもしれません。しかし、考えてみるとはたしてどこの誰がそれを完全になし得るのでしょうか。新しくなるというのは、過去を完全に捨て去ることなのでしょうか。確かに今の自分の現実の姿に絶望した私たちは、心の底からそのように願うことがあります。かっこよく言えば、全てを捨てて文字通りイエスさまに従って行きたい。網を捨ててイエスさまに従ったあのガリラヤの漁師たちのように。また、自分が価値あるものと思っていたもの全てを捨て、苦難の道を選び取ったあのペトロのように。そう願うのです。
     しかし、イエスさまが言われる「古い自分を捨て、新しい自分に生きる」ということは、過去を簡単に忘れたり、過去の様々な過ちを不問に付すということではないことを私たちはやがて知らされるのです。
     悩みを抱いて教会に来てイエスさまの福音に触れ、私たちは癒されます。そして信仰を与えられます。でもクリスチャンになっても私たちはそう簡単には今までの自分と決別することはできません。むしろ新たなしがらみが生まれることもあるのです。
     「古い自分を捨て、新しい自分に生きる」ということは都合よく過去を忘れたり、無理矢理それを封印するようなことではないのです。そのような厳しい現実を抱えつつもなお、あるいは破れや弱さを抱えつつもなお、イエスさまとの出会いの中で与えられる新しい驚きの中に自分の可能性を見い出していくということです。その可能性にかけていくということです。その希望を与えてくださった方に全てを委ねて生きていくということです。
     パウロは「だからキリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。これらはすべて神から出ることであって、神はキリストを通してわたしたちをご自分と和解させ、また、和解のために奉仕する任務をわたしたちにお授けになりました。…」(5:17-18)と語りました。
     「キリストと結ばれる人はだれでも」、これは真実の言葉です。誰ひとりとしてこの恵みからこぼれ落ちる者などいないのです。私たち一人一人はもろく弱い「土の器」だけれども、キリストと結ばれることにより、その方から全ての力を得るのです。イエスさまの方から歩み寄ってくださり、イエスさまご自身が手を差し伸べてくださるのです。
     パウロは再度語ります。「キリストに代わってお願いします。神と和解させていただきなさい。」「神は罪と何のかかわりもない方を、わたしたちのために罪となさいました。わたしたちはその方によって神の義を得ることができたのです。」
     預言者ホセアもまたこのように語ります。「さあ、我々は主のもとに帰ろう。主は我々を引き裂かれたが、いやし、我々を打たれたが、傷をつつんでくださる」(ホセア6:1
     私たちは聖書の呼びかけに感謝して応えたいと思います。主のもとに帰り、神の和解を感謝して受け取りたいと思います。そしてもう一度歩み始めましょう。その道のりは決して平たんではないかもしれません。荒れ野かもしれません。しかし、主イエスが手を結び、伴って歩んでくださる限り、私たちは希望をもって歩むことができるのです。その道の向こうに、神さまが全き平和の世界を用意していてくださるのです。
     全ての人々との和解を得るために、また何よりも自分の現実を受け入れ自分との和解を得るために、まず「神さまからの和解」そのものである主イエス・キリストの恵みを感謝して受けとめたいと思います。全てはそこから始まるのです。

  • 主日礼拝(毎週日曜日 午前10時30分)
    次週礼拝予告
    2020年8月9日(日)聖霊降臨節第11主日
    聖書:ヨハネによる福音書 6章41 - 71節
        コリントの信徒への手紙一 11章23 - 26節
    説教題:「あなたがたも離れて行きたいか」 石田 透 牧師
    (更新:2020年8月2日)
  • 子どもの礼拝のお知らせ
    8月中の子どもの礼拝はお休みです。
    9月6日より再開します。
    (更新:2020年8月6日)

  • 聖研祈祷会
    8月中の聖研祈祷会はお休みです。
    9月3日より再開します。

     
  • ランチタイム・メディテーション -702st-
    2020年8月12日(水)12:00~13:00
    ‐オルガンと瞑想のひととき‐ 
    Org.石井 美枝子
    (オルガンの演奏は12:30より約20分間)
  • 礼拝堂見学について
     現在、礼拝堂見学は、新型コロナウイルス感染拡大防止対策のため
     中止しております。 
  • 原宿教会・原宿幼稚園バザーについて
     2020年10月11日(日)に予定しておりました「原宿教会・幼稚園バザー」は中止とさせて頂きます。
     (更新:2020年6月16日)