No.33 2009年7月12日
主に望みをおく人
牧師 石田 透
スキルマン先生の記念礼拝に合わせ「スキルマン先生ありがとう」という内容の「教会だより」を発行いたしました。そこに神愛子さん、堀口基栄さん、そしてスキルマン先生のご家族に先生の思い出を寄稿していただきました。それぞれの文章には先生の人となりが記されています。一つ一つの文章を読ませていただいて、私は、家族や学生や教会の仲間を愛し、他者のため、教会のため、何よりも神さまのみ名を賛美するために心を尽くした先生の人生が目の前に映し出されたように思いました。先生が何を第一として歩まれたのか、何を大切にされたのかがはっきりと読み取れます。先生は何よりも神さまの恵みを知る人でありました。
アランさんは「神先生が荒れ果てた東京の姿を見た時、苦悶の中で決意したのは、人類と社会のために自らを捧げることであった」とスキルマン先生がよく話しておられたことを記しています。私はその神先生の決意はスキルマン先生の決意でもあったと思うのです。
ジェニーさんは先生と共によく歌った家族の歌として「イエスさまの愛をもらった、イエスさまの愛を、私の心の奥底に」という歌を紹介しています。スキルマン先生の生きる力の源、生きる喜びの源泉はイエスさまの愛でありました。
べスさんとアンディさんは原宿教会での礼拝の思い出を記しています。その中で紹介されているのは礼拝を大切にする先生の姿です。ご自分が何を最も大切にしているかを先生は身をもって愛する方々に示されたのです。
テッドさんの娘さんのナナミさんが先生に書いた「おじいちゃん」という詩を読ませいただきました。病いの中で先生の記憶が薄れていくのを目の当たりにし、悲しみを覚えながらも、「たとえおじいちゃんが覚えていなくても、わたしが覚えている。彼を愛している、心の底から。そして私のこころは決して忘れない」とナナミさんはうたいます。彼女の心の中には、大切な人を心から愛してくれたスキルマン先生の姿が今も生きているのです。
スキルマン先生は心から人を愛する方でした。その愛の向う先は家族だけではありません。教会のメンバー、そして学生たち。戦後の1951年、いまだ戦争の傷跡の癒えない東京の青山の地に立ったジョン・ハロルド・スキルマン青年の思いは、そこに生きる人と共にあることでありました。その思いは主イエス・キリストによって与えられ、その志を主イエス自らが支え続けてくださったのです。スキルマン先生は神の愛を知る人でした。そして主イエスの導きに全てを委ねることのできる人でした。その恵みに心から感謝し、その恵みに生きる人でした。
「あなたは知らないのか、聞いたことはないのか。主はとこしえにいます神、地の果てに及ぶすべてのものの造り主。倦むことなく、疲れることなく、その英知は究めがたい。疲れた者に力を与え、勢いを失っている者に大きな力を与えられる。若者も倦み、疲れ、勇士もつまずき倒れようが、主に望みをおく人は新たな力を得、鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない。」
イザヤが語るように苦難は苦難で終わるのではありません。希望の時はやがて来るのです。スキルマン先生はどんな時も主に望みを置いて歩む人でした。私たちもまた、そのことを心に刻みつけ、主によりまた新たな力を得て、歩んでいきたいと思います。
(記念礼拝メッセージより)