No.68 2022年10月23日
分かち合いの喜びを共に
牧師 石田 透
新聞やテレビは、紅葉前線が日本列島の北から徐々に南下していることを伝えています。私たちの街の街路樹もやがて赤や黄色に美しく彩られていくことでしょう。深まりゆく秋、さまざまな恵みが私たちのもとに届けられます。私たちはその恵みに対する感謝をどのように表したらよいのでしょうか。
かつて信教の自由を求めて「新大陸」アメリカに渡った人々は、過酷な船旅の後、ようやく東海岸にたどり着きました。しかし、そこは想像以上の荒れた土地でした。やがて冬となり、飢えと寒さと病いとで多くの者が命を落としました。残った者たちは粗末な小屋を建て、一生懸命に荒れた土地を開墾し畑を耕しました。必死な思いで命をつないでいったのです。彼らは先住民の人々から食べ物の育て方を教えてもらいました。しかしやがて先住民たちはその豊かな土地から追い出されてしまいます。でも心ある人たちは最初の収穫の時、世話になった先住民を招き、共に感謝の食事をしたという言い伝えが残っています。
「お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。」
これは新約聖書のマタイによる福音書二五章三五節以下に記されているイエスさまの言葉です。そのイエスさまの言葉を受け、
「主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物 を差し上げたでしょうか。いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。」
と謙遜する人々に向かってイエスさまはこう言われました。
「はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」
小さな者・小さな存在に対する小さくささやかな善き業を、イエスさまは心から喜んでくださいました。そして今もなお、この世界に生きるすべての者がそのような善き業へと心開かれ、立ち上がることをイエスさまは望んでおられるのです。
対立が憎しみを生み、簡単に血が流され、多くの尊い人間の命が一瞬のうちに奪われていくという悲しい出来事が、今この世界で現実に起きています。その現実の前で、私たちは自分の無力さを突きつけられています。
でも、そんな時だからこそ「一人の小さき善き業が世界を救う」というイエスさまの言葉に希望を見い出し、その招きにすべてを賭けてみたいと思うのです。
イエスさまは人々の小さき善き業を喜んで受け入れ、それゆえに「御国」を与えると今も語っています。「分かち合いの喜びをすべての人と共に」。そのことを心に強く刻みつけ、今この時を誠実に生きていきたいと思います。