教会だより48号 

2014年10月5日発行

種蒔く人のたとえ    牧師 石田 透

 イエスさまが湖のほとりで教え始められたとき、おびただしい群集がそばに集まって来ました。そこでイエスさまは舟に乗って腰を下ろし、湖の上から群集に向かって「たとえ」で多くのことを教えられました。

 よく聞きなさい。種を蒔く人が種蒔きに出て行った。蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。ほかの種は茨の中に落ちた。すると茨が伸びて覆いふさいだので、実を結ばなかった。また、ほかの種は良い土地に落ち、芽生え、育って実を結び、あるものは三十倍、あるものは六十倍、あるものは百倍にもなった。」そして、「聞く耳のある者は聞きなさい。」と言われた。
(マルコ福音書四章三節〜九節)

 イエスさまは新しい時代の新しい希望について、聞く者の心に届くことを願って熱心に「たとえ」を語ります。額に汗しながら、ひたむきに働く農夫の日常の姿を用いて、イエスさまは神の国の真理を語るのです。

 この「たとえ」が語られた背景には、律法学者やファリサイ派の人々によるイエスさまとその弟子たちに対する様々な妨害や迫害がありました。彼らが熱心に語れば語るほど、妨害は激しくなり、イエスさまたちは会堂から追われることもしばしばでした。挫折と落胆が弟子たちを支配しました。何をやっても失敗ばかりです。伝道は進展しません。この「たとえ」はそのような彼らの不安を受け止めながら、彼らを励ましその信仰を立て直すものとして語られたのです。

 「あなたたちの伝道の旅はまことに困難である。失敗の連続かもしれない。しかしその努力は確かに報いられる。やがて豊作へと導かれるのだ。ガリラヤで出会った農夫が黙々と種を蒔いていた姿を思い起こしなさい。鳥が食べ、枯れ、茨でふさがれてしまった多くの種があった。しかし農夫の手から蒔かれた種のいくつかは、確かに豊かに実を結んだではないか。」と。

 あらゆる挫折と失敗にもかかわらず農夫が素晴らしい収穫を与えられたように、あなたたちは目には見えずとも神さまの確かな支配の中に置かれているのだとイエスさまは励ますのです。心が沈んでいる弟子たちに、「何があっても絶対に失望するな。一人ひとりの中に神さまが備えてくださった賜物を信じなさい。父なる神さまを信じなさい。」と語るのです。

 神さまの力は見えないけれど、たえず吹く風のように人間の中に働き続けています。それを感じなさいとイエスさまは私たちを招きます。「聞く耳のある者は聞きなさい。」と、私たちの信仰を喚起します。私たちはいわゆる「良い土地」ではないかもしれません。でも決してイエスさまは私たちを見捨てたりはしないのです。「荒れた土地」であるにもかかわらず、やがて「良い土地」となることを信じてくださり、私たちの心に今も種を蒔き続けるのです。

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