教会だより41号 冬号巻頭言

2012年2月19日発行

さあ、わたしがお前の傷を治し、打ち傷をいやそう   牧師 石田 透

 教会暦では、2012年は2月22日が「灰の水曜日」となっています。キリスト教会では、この「灰の水曜日」から受難週の土曜日までの40日間(日曜日を入れると46日間)をレント(四旬節・受難節・克己節)と呼び、主イエス・キリストの十字架の出来事に思いを馳せ、そこに示された神様の深い愛を思う時として過ごしてきました。本来イエスさまの十字架の苦しみを思うことに期間はありませんが、この季節、自分自身の弱さや欠けを謙虚に見つめ直し、一人一人の罪の赦しのために血を流され、身体を裂かれた主イエスを見上げつつ、このレントの時を過ごしたいと思うのです。

 さて、このレントの期間に読まれる旧約の預言書には、現在のわたしたちの姿を映し出しているのではないかと思われるような箇所がたくさんあります。エレミヤ書30章12節以下にはこう記されています。

 「主はこう言われる。お前の切り傷はいえず、打ち傷は痛む。お前の訴えは聞かれず、傷口につける薬はなく、いえることもない。…」

 しかし、30章17節では、「さあ、わたしがお前の傷を治し、打ち傷をいやそう、と主は言われる。人々はお前を、『追い出された者』と呼び、『相手にされないシオン』と言っているが。」と記されているのです。

 30章の後半はなかなか厳しいことが語られてはいますが、この章は全体として、「回復の預言」ということができます。繁栄しているときには滅亡を厳しく預言しましたが、滅亡の中で望みを失っている人々のためには回復を預言するのです。預言者エレミヤは人間的な状況判断からではなく、「主の言葉」を徹底して聞こうとしたのです。今、神から遠く離れてバビロンに連れて行かれ、神を礼拝することもできないところに追いやられてしまったイスラエルとユダの人々に対して、神は「わが民」と言われました。たとい自分の状態が絶望の極みにあったとしても、ぼろぼろになったわたしたちを「わたしのものだ」と言ってくださる方がおられるのです。

 イスラエルとユダの繁栄を回復する日が来るという預言は、わたしたちにとっても大きな慰めとなり、望みとなる言葉です。なぜならばそれは「主が言われた」からです。人間的な、あるいは政治的な判断ではなく、主がこれを言われたのです。わたしたちは人生の根拠をここに置くことができるのです。ここに生きる望みを見出すことがゆるされているのです。

 わたしたちの生きるこの世界には、様々な不条理があり、苦しみや悩みがあります。大震災後一年近くが経っても、復興の歩みは遅々としています。被災者の方々の悲しみや苦しみは時が経過してもたやすくは癒されません。しかし、その苦難のただ中にあって、わたしたちと共にあり、そこからわたしたちを救い出してくださる方が確かにおられるのです。そのために神はわたしたちに主イエスを送ってくださったのです。「神はその独り子を賜ったほどにわたしたち一人ひとりを愛してくださっている」ということを忘れないでいたいと思います。苦しいときも神さまが共にいてくださり、大きな力をもってわたしたちの「くびき」を砕いてくださることを望みつつ歩みたいと思います。

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