教会だより27号(抄)

そこに私はいません   牧師 土橋 晃

 先日の夜、渋谷の繁華街を歩いていると、いつものように若者たちが路上にたむろしていた。見慣れた光景である。傍らを通り過ぎたとき、聞くともなしに彼らの歌声が響いてきた。

 「♪千の風になって…♪」と、周囲の喧騒とは似つかわしくないような合唱である。この歌が茶髪の若者たちにも愛唱されているのを知らされた。

 この曲がポピュラーになったのは、昨年末のNHK紅白歌合戦でテノール歌手の秋川雅史が歌ってからだろう。朗々とした熱唱は、私の個人的な好みで言えば「しっとり感」が無いように思うが、大勢の聴衆が慰めと励ましを感じ取り、共感したのは確かである。その後も、特集番組が組まれたりしているのを見ると、テレビの影響力だけでなく、人々の心に深い感動を与えていることがわかる。

 この歌は、もともと作者不詳の英語の詩だ。75年ほど前、アメリカの一主婦が、友人のユダヤ系少女の母の死を慰めるために詠んだといわれている。茶色の紙袋に走り書きしたものだそうだ。その後、近親者の死や追悼の機会に「口伝」で広まっていったという。

 原詩には題もなく、「Do not stand at my grave and weep」(私の墓の前で泣かないでください)と呼ばれていたが、わが国では、作家の新井満が日本語に訳し、曲をつけたものが知られている。三行目の「I am a thousand winds that blow」から「千の風になって」と呼ばれている。シンガーソングライターでもある新井の歌の方が、この歌には相応しいと思うのは私の好みだろうか。

 原詩にも色々なバージョンがあるようだ。新井訳でない例を挙げてみよう。

 『私のお墓の前で泣かないでください。私はそこにはいません。眠ってはいません。私は千の風になり、ダイヤモンドのようにきらめく雪になり、実った穀物に光を与える太陽になり、穏やかな秋雨になります。静かな朝にあなたが目覚めた時には、私は空高く舞い上がり、鳥になって飛び回っています。夜にはきれいな星になって輝きます。私のお墓の前で泣かないでください。私はそこにはいません。死んでなどいないのですから。』

 永いこと死を語るのがタブーであったわが国でも、死を考察し正面から取り組む人々が増えたことが、この歌が受け入れられる要素のひとつだろう。

 「週の初めの日の明け方早く」と福音書はイースターの出来事を語りだす。イエスを慕い従ってきた婦人たち、せめて丁重に葬りたいと墓の前に来た彼女たちに、天使が告げる。「あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。」と。「ここ」とは、墓であり、権力、政治、宗教までが自己防衛のために反対者を抹殺する「死の支配する世界」だ。「そこにいない」とは、そこから勝利したことを意味している。

 教会暦は、やがて聖霊降臨日(ペンテコステ)を迎える。神の力、キリストの霊を受けて教会が誕生する。霊とは、いのちの源である「神の息」(創世記)であり、「風」でもある。新しいいのちに生きることを示している。 「千の風」の作者がどのような聖書的背景を持っていたかは知らない。しかし復活信仰に生きていたことが感じられる詩の言葉である。

 「キリストと共に死に、キリストと共に新しいいのちに生きる」ことが、死後の世界のことではなく、今ここで生起している出来事であることを確信したい。「私を信じる者は、死んでも生きる」と語るイエスを見つめ、肉体の死を考えることはもちろん、「神の風」によるいのちを、いまどう生きるかに取り組むのが、イースターである。

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