教会だより25号(抄)

− 子どもに語る平和 −
勇気をもって謝る   牧師 土橋 晃

 今から六十年以上前のこと、日本は世界中のほとんどの国を相手に戦争をしていた。

 その時、私は今のみんなと同じ年齢だった。学校で「この戦争は正しい。アメリカやイギリスは鬼のような国だ。アジアの人たちを苦しめているから、日本が助けてあげるのだ」と教わった。だから私たちは「早くおとなになり、兵隊さんになって、悪い敵をやっつけよう」と考えていた。お父さん、お母さんたちも、金のネックレスやダイヤの指輪などをささげ、「これで飛行機を買ってください」「欲しがりません、勝つまでは」って頑張ったんだ。

 教会も、礼拝の前に「戦争に勝ちますように」とお祈りしたり、献金を集めて「戦闘機」を贈ったりしたんだって。

 一九四五年八月十五日に戦争が終わった。日本が負けた。それからだんだんに、戦争中に教えられ、聞かされていたことが「ウソ」や「間違い」だったことが判って来た。「正しい戦争」でもなく、アジアの人たちを助けるためというのも嘘だったんだ。

 アジアの国々や人々を家来のようにして、大勢の人や品物を日本に運んで、日本人のために使おうとした。でも、誰も人の家来にはなりたくないよね。だから多くの人たちが日本に反対し、抵抗して戦ったりした。そして大勢のアジアの人たちが、何も悪いことをしていないのに牢屋にいれられたり、殺されたりしたんだ。アジアの人たちにたくさんのひどいことをした。

 戦争が終わり、「知らされていなかったこと」がわかったとき、私たちはとても驚いた。そして、それらのことが本当だったと知って、苦しめたり、迷惑をかけた人々や国々に心からお詫びをしなければならないと思った。同じ間違いを二度としないように決心し、新しい国を皆でつくろうと「平和憲法」も決めた。

 でもみんなもそういうことがあると思うけど、間違いに気付いて謝ることがいいとわかっていても、なかなか謝る勇気がなくて、自分は正しいんだとごまかしたり、そう思い込んでしまうことがあるよね。

 だから戦争中と同じような考え方をする人たちもいて、「謝ったり、反省したりする必要なんかない」といって、灰色のトラックから大声で軍歌を流してデモをしたり、「戦争は間違いだった」と話す人の家にピストルを撃ち込んだりして、脅かすこともある。

 でもそんな中で、勇気をもって間違いを認めて謝る人たちもいる。素晴らしいことだと思う。

 日本キリスト教団も、あの戦争に協力し、特にアジアの人たちに大きな迷惑をかけたことを間違いだったと認め、神さまにゆるしてくださいと祈り、アジアの国々にも謝って、平和への決心をした。(戦責告白)。 キリスト教学校の明治学院大学でも、「私たちも先の戦争に協力した罪を、神さまに告白して、諸外国の人々に謝ります」と院長先生が皆の前で話した。

 いま、君たちをはじめ「戦争を知らない」人たちのほうが多くなっている。学校でも戦争の悲惨さについては教えないようだ。だから国を守るためには軍隊が必要だ、憲法を変えよう、という声が高まっている。それに反対するものは国を愛していないといった非難もある。そんな中でイエスさまの「平和を実現する人々は、幸いである」というおことばをよく考えたい。

(拙稿は以前『教師の友』誌に載せたものを手直ししたもの。今夏のCS夏期キャンプでの礼拝で子どもたちと「平和」を考えたことを思い起こして:‥)

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